7世紀末の呪術者「役行者」が建立か?
三徳山は修験者が修行のために入る山
鳥取県のほぼ中央にある、天台宗修験道三徳山(みとくさん)三佛寺(さんぶつじ)奥の院「投入堂」。
断崖絶壁に張り出してつくられた懸崖造り(けんがいづくり)懸造り(かけづくり)で、建築様式は流造(ながれづくり)流破風造り(ながれはふづくり)。
投入堂は神社の建築様式ではありますが、三佛寺というお寺のお堂。849年に阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したから三佛寺といういわれがあります。
そもそも修験道は、山岳の神と仏教の仏を崇拝する神仏習合の信仰。だから造りが神社本殿形式でも不思議はないんですね。
ただ不思議なのは、その建立方法。年輪年代測定により、投入堂は平安時代後期につくられたのは確か。しかしその時代に、どうやってあの断崖絶壁にお堂を建てたのかは、いまだ不明のままなのです。
投入堂縁起では、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)役小角(えんのおづぬ)の法力によって建立されたということになっています。
それは、三徳山を訪れた役行者が山のふもとでお堂をつくり、それを法力で手のひらサイズに小さくし、そのあと岩山の洞穴めがけて投げ入れた。だから「投入堂」という話。
役行者は生没年不詳の呪術者ですが、699年に伊豆大島へ流されたという記録が「続日本紀(しょくにほんぎ)」に残っているため、どうやら実在の人物だったようです。
役行者の能力は人外で、鬼神を使役して家事をさせるほど。しかしその能力をねたむ者が朝廷に讒訴(ざんそ)し、流罪となったのだそう。讒訴とは、他人をおとしいれるために事実を曲げて訴えることです。
とにもかくにも、投入堂は現存しており国宝にも指定されている日本有数の懸崖造り。建立方法がわかってもわからなくても、魅力的であることに変わりはありません。ぜひ一度は実物を見てみたいものです。
ただし三徳山は入峰(にゅうぶ)修行の山。国の名勝及び史跡に指定されており観光客も多いものの、投入堂への参拝登山には入山許可が必要。
行者道は険しいところもあり、木の根や岩をよじ登り、投入堂手前まできてそこから参拝となる模様。
天候や時期により入山禁止になることもあるため、参拝登山の際にはホームページをチェックしてからにしましょう。