【丸亀城の石垣】にまつわる怖い話|人柱・石工棟梁惨殺の闇伝説!

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丸亀城2022/4/
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職人の余計な自信や謙遜は命取りになる!

石垣が立派な日本の城は数々あります。その中でも今回は、日本百名城の1つ、香川県「丸亀城」の石垣にまつわる怖い話をご紹介したいと思います。
江戸時代の初期、西日本を中心に、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工の集団が活躍していました。彼らの技術力は非常に高く、丸亀城の石垣を築く際にも召集されたのだそう。

丸亀城の石垣は、石工名人「羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)」の手によるもの。麓の土台から天守まで四重の石垣で、野面積み(のづらづみ)、算木積み(さんぎづみ)、打込みはぎなど、様々な組み方をされているのが特徴です。

free画像,石垣テクスチャー

丸亀城の、下はゆるやかで上が急になっている「扇の勾配」の石積みは、城の守りを強固にするためのもの。その打込みはぎは、石の一部を平らに加工し、それを隙間なくびっちり積み上げる技法。足がかりになるところがほぼないため、敵の侵入を防ぐには効果的だったといえます。

このように、高度な技術をつかった丸亀城の石垣。ですから、名人を棟梁に据えたプロ集団といえども、さすがに工事は難航。そこである雨の日に、現場を通りかかった豆腐売りを捕らえ、むりやり人柱として生き埋めにしてしまったのだそう。

free画像,石工,手元画像

工事は無事完成しましたが、雨の夜には石垣付近で「とうふーとうふー」という豆腐売りの声が聞こえる、というホラーものこっています。また棟梁である羽坂重三郎本人も、この石垣の犠牲になった一人。

それは石垣が完成し、当時の城主山崎家治に羽坂重三郎がねぎらわれたときのこと。「見事な石垣だ。これほど目地が詰まってて急勾配なら、登れる者は誰一人いないだろう」と。すると重三郎は、「私だったら、短い鉄の棒さえあれば登れます」といい、やすやすと登ってみせたのです。

free画像,井戸,石と苔

すると家治は、「さすがにこれは登れまい」と重三郎をけしかけて、今度は二の丸の井戸に彼を入らせます。そうしておいて井戸に投石し、穴を塞いで殺してしまいました。重三郎から石垣攻略法が敵方へ漏れることを恐れた城主の、鬼の所業ですね。

丸亀城の石垣の曲線美は、目を見張るものがあります。しかしその裏には、このような怖い話があったのです。

line画像,雄太,棚

とはいえ私たちの日常でも、これに近いことはよくあります。例えば、DIYで棚をつくってプレゼントしたとします。そのできばえをあまりに褒められると、「いやいや、ここがもうちょい、こうなってたら」と、照れ隠しに謙遜してしまいがち。

ですがそれをやると、相手は途端に失敗作をもらった気分になってしまいます。知らなければ大満足してたのに……。その棚がもし仕事で納品するものだったとしたら、検品で難なくクリアするレベルだったとしても、先方にプラスの印象は与えないでしょう。

free画像,舌だす豚,顔

羽坂重三郎の場合は、褒められて調子に乗り、余計なことをやっちゃって失敗したパターン。ですがいずれにせよ、余計なことは言ったりやったりしない方がいい、ということですね。それはそうと、石垣攻略法を敵に知られるのを恐れ、羽坂重三郎の口を封じたということですが、この話がこうして外にでてしまってる訳ですから、あまり意味がなかったのでは!?

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