土木作業「ヨイトマケの唄」は長らく放送禁止だった!
以前、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を聴き、気付いたら泣いていたということがありました。失恋ソングに共感して泣くなんてのは、しょっちゅう。でも、それ以外の歌に感動して泣くというのは、これが初めてだったような気がします。
ヨイトマケというのは、ランマーといった地盤の締固めをする機械がなかった時代に、人力で地突き・地固めをした土木作業、あるいはその作業員のこと。やぐらを組んで滑車をつけ、10数人で綱を引いて重しの心棒(直径20cmくらいの松や欅)を上から落とし、地盤の奥まで突き固めます。
それを1分間に10数回繰り返して行うのですが、土地によっては1週間から1、2ヶ月かけることもあったのだそう。その綱を引くときのかけ声が「よいっと巻け!」だったから、ヨイトマケ。この作業は、シングルマザーなどが生活の糧を得るために男性に交じってやる、キツイ仕事とされていました。
ちなみに、この歌詞に使われている「ヨイトマケ」や「土方」が差別用語にあたるということで、長らく放送禁止になっていたヨイトマケの唄。ですが今では、桑田佳祐をはじめ様々な歌手がカバーしていることでも知られるようになりました。
これはそもそも建設作業員を蔑視し、差別的な呼び方をしていたのが原因。肉体を使う仕事は頭を使わない、誰にでもできることだから、他の仕事をしている人より劣る。そういう誤解が、今も昔もずっとあるからなんですね。
当サイトのコラム「建築職人は頭が良くない?だったら貴方は【差し金】を使いこなせますか?」でも書きましたが、建築職人は数学の定理を応用して日々作業をしています。
他にも、土木工学や建築学、場合によっては植物生理学などの知識も駆使していることでしょう。相当な専門知識・専門技術に基づいて行われる現場作業。それだけでなく、あの複雑な図面をきちっと読み取れなければ、話になりません。
ただこれらの学問は、図面や作業方法に活用されているものですが、作業員としては「この作業は、こうやるものだ」と、習ったままに実践している感じなのでしょうが。
例えば「ここに梁をかけるぞ」という作業は、構造力学に基づいていたとしても「モーメント反力が」などといった教え方をする職人は、ほぼほぼいないでしょうからね。
話を戻しまして。職人には作業に必要になるであろう材料や道具を、現場ごとに予測して準備する管理能力も必須。なのにそれが一般人にはほとんど知られず、“身体さえ健康なら、誰にでも出来る単純な仕事”という風に見下されるんですね。
例えば「明治初期には【大工の棟梁】は大統領と同じくらい尊敬されていた!?」というコラムで書いたように、当時は人々から一目置かれる存在だったにもかかわらずです。
なぜ、いつから建設作業員が低く見られるようになってしまったのか……。その辺のことは、また改めて考察してみたいと思います。
参考文献 「西岡常一と語る木の家は三百年」原田紀子 社団法人 農山漁村文化協会
>極端に言えば、建築現場の作業というのは、体力さえあれば誰でもできるように組織化され、マニュアル化され、教育されるからだ。
>しかし大工はどうかと言うと、そもそもまとまった教育期間や研修期間はない。文字通り親方のやり方を目で見て盗まない限り、仕事を覚えることはできない。よほど積極的にやらないと、一人前の大工には慣れないのだ。
>工事現場を指揮するのは現場監督(マネージャー)。監督と親方の仕事はたぶんぜんぜん違うんじゃないだろうか。
>どちらも「建築業者」というくくりでみれば一緒だし、それが不幸な誤解のもとになる。作ろうとしているものや作っているもの、作り方そのものが大きく違う。
…「建設作業員と大工の違い」というテーマに対する、清水亮・後藤大喜両氏の著作「プログラミングバカ一代」における言及だそうです。こうした言及、とりわけ「建設作業員と大工の違い」について、こちらのBlogがどう考えているか気になるところです。