大化の改新の頃の建設業を支えていたのは左官と大工!
江戸時代、鳶・大工・左官といえば花形の職種でした。今でも人気の三職ですが、今回の「職人ちゃん」では左官にフォーカスしていきたいと思います。
話は飛鳥・奈良時代にまでさかのぼります。当時の建設業もやはり、土木系と建築系とがありました。といっても、土を扱うか木を扱うかといった、かなりザックリな分類ですが。
ですから、土壁職人の左官は土系。一方、木系の職人は今でいう大工で、その頃大工は右官と呼ばれていたのだそう。そして、そもそも左官とは、主典(さかん)という官位のこと。天皇がいる宮殿の営繕を行う職人に、律令制度における四等官制の位の1つを与えたものなのです。
土系が「さかん」という音で左なら、木系は右で「うかん」といったウイットだったのでしょうか!?
ですが日本では「左上右下(さじょううげ)」という言葉があるように、左と右だと右の方が下、左の方が尊いとされていますから、右官にしたら気分がよろしくない!
そこで「うかん」という呼称はすたれ、「さかん」という呼び名の方だけが後世まで残ったようです。宮中に出入りするから便宜上官位を与えられたのか、いい仕事をしたご褒美としての官位だったのかはわかりませんが。
ちなみに当時も大工(おおきたくみ)という言葉は存在しましたが、今の大工(だいく)とは別物。大工(おおきたくみ)というのは、政府の建設関連部署の技術系トップといったところ。作業員というより監督者のようなポジション。
木系の作業員は右官であり、その右官を大工(だいく)と呼ぶようになったのは、ずっと後の江戸時代になってからだそうです。左官も大工も、千年以上前の律令制度の名残り。とはいえあまりにも昔の話なので、これらの語源には諸説あるようですが……。
いずれにせよ、左官も大工も、日本の歴史・文化を継承し続けている、すばらしい職業であることは確か。もちろん、他の建設職も!
例えば、重機オペレーター。クレーン・油圧ショベル・フォークリフトなど、現在のような資格制度は昭和に入ってから確立されたよう。ですが、時代はもう令和。
つまり、その各々の秀でた専門知識・技術が必要とされているから、昭和・平成・令和という時代を経て、存在しているということですね。