人は怖いもの=死の危険をタブー視する!
ものをつくる、それを形にして残す仕事って、まさに産みの苦しみ。ですが、これほど充実感のある仕事が他にあるでしょうか。建築でいえば、例えばそこに住まう人・使う人のことを第一に考え、自分の技術・知識のすべてをそこへと注ぎ込む。そして自分のプライドにかけてつくったその建物は、長く後世までのこるのですから。
ちなみに、カツカツの工期をムリしてクリアすることに関しては、当サイトコラム「建築職人|無茶苦茶な短工期でもコンプリートするのがプロというもの?」でも書きましたが、それでこそプロの職人だというのは周囲の誤解。プロはそこに喜びを見出している、なんて思われたら大迷惑です。
さて、私自身もWebや紙媒体で一種のものづくりをしている身ですが、アパレル・飲食・製造業などもしかり。つくることにかける時間と労力にそれぞれ違いはあっても、形がのこる仕事は、緊張感と同時に達成感がひとしおだと思います。
そこで常々思うのですが、人にとって必要不可欠な「衣食住」。それらをつくる人間は皆、専門家であり技術者。ところが衣・食の職人は、先生・クリエイター・アーティストなどと呼ばれるのに対し、住のプロでそう称えられるのは、せいぜい建築家止まり。
もちろん、「伝説の彫刻職人【左甚五郎】は架空の人物?真相を探ってみました!」でご紹介したようなスーパースターもいます。近代では、西岡常一のような大棟梁もいましたし、現代の名工として厚労省や国交省で認定されているマスター・マイスターたちもたくさんいます。
ですがデザイナーの誰々、シェフの誰々、建築家の誰々といわれるほど、周知されてはいません。そして先生・親方・棟梁と敬称で呼ぶのは、ほぼ内輪に限られるかと思います。実際に高度な技能を駆使して、あらゆる建造物をつくっているのは、何百何千人もの建築職人であるにもかかわらずです。衣食住の1つなのに、その差は何???
建築職人は、頭脳に加え、とにかく肉体を使うハードな仕事。派手さや洒落っ気は、まったくといっていいほどありません。それに衣食の仕事と違って、即死級に危険な作業もあるので、とにかく安全第一。
一般的に、建設作業員の仕事内容はよく知られていませんが、命にかかわる危険な仕事だということは周知されているかと思います。そして人は、怖いものをタブー視する傾向があります。あえてスリルを味わいたいという人もいますが、そういう人も実は自分の中で安全確認できているから避けないだけなのかも知れません。
危険と隣り合わせの「住」の職人から、目を背けたくなる気持ち――。これまでに当サイトコラムにて、建築職人が敬遠される理由を探ってきました。その理由の一端は作業着だったり、声の大きさだったり、手癖・マナーの悪い一部の人たちの存在だったり……。
死を連想させる建設作業員は、自分の平和な世界からみると異質。だから、自分から遠ざけようとしてしまう人がいるのかも知れませんね。しかしだからといって、敬意を表さない・敬称で呼ばないのは違うような気がしてなりません。