作業着を誇りに思いこそすれ恥じることは何もない!
なぜ?いつから?建設作業員が低く見られるようになってしまったのか――。これは、当サイトのコラム「建設作業は頭を使わない|身体が健康なら誰にでも出来る仕事という誤解!」で提起した問題です。
この問題はなかなか複雑で、答えはどうやら1つという訳ではなさそう。原因はいくつか考えられますが、とりあえず今回は「なぜ?」のうちの1つを考察してみたいと思います。
なぜ建設作業員が低く見られるのか、まず挙げられるのが「作業着姿」だということ。以前友人の建築職人が、いかにもな作業着で電車に乗ると、何気に避けられるということを言っていました。
おそらくそれは、①服や体が汚れてるのでは?と想像し、生理的に避けてしまう。②スーツ至上主義。③周りの人と違う服装だから違和感を感じる。これらが根底にあるため、作業着姿の職人を見ただけで反射的に不快感を抱き、見下してしまうのかも知れません。
①についてですが、朝出勤するときでさえ避けられるのは、作業着姿の人は汚れているという一種のすり込み。もちろん作業後は汚れますが、本人もそれがわかってるせいか、電車が空いていても座らずに、立ってる建設作業員をよく見かけます。疲れてるだろうに、そこまで周囲に気を遣っても、まったく理解されないというやるせなさ……。
また②に関しては、そのものズバリ。ばりっとスーツを着ている人は常識人だ、という思い込み。冠婚葬祭など、スーツじゃないと非常識だと思われるシーンは確かにあります。だからといって、仕事でスーツを着てるビジネスマンが常識人で、着ていない職人はDQNだということにはならないはず。しかしそのような認識が、少なからずあります。
そして③の、周囲の人と違うという違和感は、何も作業着に限ったことではありません。例えば喪服もそうですし、奇抜な服装も嫌がられる傾向にあります。だから学生などは浮くことに敏感で、コーデがかぶることは、さほど気にしなかったりするんですね。
つまり上記①②③のように、作業着姿から連想される負のイメージが、建設作業員そのものへも向けられてしまうため、敬遠されているような気がします。もっとも冒頭でも述べた通り、職人が低く見られてしまう理由は、他にもあるのでしょうが。
もうかなり昔の話になりますが、元彼が工務店を始めたときのこと。小さな会社でしたが、一級建築士と職人も雇い、本人は営業で頑張っていました。その元彼、スーツにネクタイなのに、いつも上着だけは自分の会社のネーム入り作業着。彼にとっては、社名が刺繍された作業着が誇りだったんですね。
ですが当時の私は“現場に出る訳じゃないのに何で着るの?一緒に食事行くときくらいは、恥ずかしいからやめて欲しい”と正直思ってました。今考えると、どうして一緒に誇らしく思ってあげられなかったのか、何て了見の狭い女だったのかと恥ずかしくなります。
それに職人にとって作業着は、身を守るプロテクター。当サイトのコラム「【ニッカポッカ】はなぜダボダボ?|あの形には危険感知センサーや風速計の働きがある」でご紹介したように、作業着というものは、職人が安全に作業をするために、なくてはならないものの1つなのです。その仕事着を誇りに思いこそすれ、恥じることは何もない!
ちなみに最近では、オシャレなデニムの作業着など、色々なラインナップがあります。見下され、嫌な思いをさせられるのを減らすには、その手の作業着を取り入れるのも手かも知れません。少々理不尽ではありますが……。
「作業服姿だと、若い女性には特に避けられる。電車に乗るときでも、作業服姿の自分が若い女性の隣の空いた席に座ろうとすると、若い女性は席を立ったり、離れた別の空席に移ったりするのだ」という言及を目にしたことがあります。「若い女性に明確に避けられる」というのは、少なくない割合の男性にとっては、男としてかなり堪えるのではないでしょうか。