職人はアーティストと呼んでもおかしくない!
先日、当サイトコラム「建設作業は頭を使わない|身体が健康なら誰にでも出来る仕事という誤解!」でも書きましたが、「ヨイトマケの唄」に感動して泣いたという話をしました。
このように、歌をはじめとするアートに心を揺さぶられた経験をもつ方は、少なくないかと思います。例えば私の場合、ヨイトマケの唄以外には、真鶴町立中川一政美術館の絵画。画伯の遊び心に感化され、こっちまでワクワク。
また、空海の「風信帖」もその一つ。書の素養など1mmもない私ですが、雷に打たれたような衝撃を感じました。では建築物では?と考えてみると、真っ先に浮かんだのが、当コラム「【建築職人】見えかくれ部分は手を抜いていい場所という意味ではない!」を書くきっかけとなった、普通の集合住宅でした。
作業を見学させてもらった段階ですから、当然まだスケルトンむき出しの状態。ですが、あんなにもそそられる建物をみたのは初めて。完成した建物が隙のない美女だとしたら、施工中のものは、その美しさを得るために努力を積み重ねる、たくましい素の姿。
私はそこに、建物がもつ内面の美を感じました。それだけでなく、建物をつくってる職人の動き。普段我々が見ることも、自分自身がすることもない動き。“人の体って、こういう使い方ができるんだ”という妙な感動も、あの集合住宅の現場にはありました。
騒音・粉塵・暑さ寒さ・危険……アートと呼ぶにはあまりにも過酷な現場。ですが、大工や左官はもちろんのこと、鳶・電気工・型枠・舗装などなど、職人をアーティストと呼んでもなんら差し支えないと思った次第です。
残念ながら、彼らのすばらしさを知ることができる人間は、ごくごく限られているのが現状ですが……。ちなみにフランスに、ポンピドゥー・センターという文化施設があります。完成形なのに、まだ足場が組まれているように見える建物。
これを面白いと思ってしまうのは、やはりあの時、現場を見せてもらったからなのかも知れません。一般人目線なら「何これ?」で終わりかも(笑)
とにもかくにも、できればまた、心揺さぶられる建築現場を見学する機会をもらえたら、と思っています。