人と物の価値はイコールではない|でも車も家もつくってるのは人!

スポンサーリンク

職人がつくり上げる家は単なる物ではない!

人と物の価値はイコールではない。人>物というのが一般的な感覚ではないでしょうか。例えば交通事故にあった人に対し、その人の体より乗っていた車の心配をするようでは、人としてどうかと思ってしまいます。

とはいえ所詮物だからと、車の手入れもせず動けばいい的に雑な扱いをするのも、あまり気持ちのいいものではありません。というのも、車1台はおよそ3万個にものぼる部品で出来ており、それらの部品をつくっているのは人。

車だけでなく建物も同じ。戸建てでも集合住宅でも、1つの建物をつくるのには数十種の専門業者が関わり、彼ら一人一人が心血を注いで作業することによって出来上がるからです。そう考えると、物は単なる物ではない。

建築職人と呼ばれる人たちは、多くの時間・お金を費やし、たゆまぬ努力の末得た能力のすべてを駆使し家を建てる。また、木は伐採され木材となり、家として再び生きる。そういう背景を知ると、家=物であっても尊く感じます。

ただし、そう感じて家を大切にする住人ばかりではないですし、つくる側にも“どうせ自分が住むわけじゃない”と、やっつけ仕事をする人もなかにはいます。加えて、物を大切にする人、あるいは丁寧な作業をする人を“小っちゃいヤツだ”と小バカにする輩もいたりして。

何とも残念なことですが、でも物を雑に扱えば長持ちしないし、いい加減な作業をすればいつかはバレる。自分が発した声が返ってくる「山びこ」のように、自分がやったことは返ってきます。

山びこといえば、二代目 千代鶴貞秀(神吉岩雄)作の鉋に刻まれた「山彦は むかしの夢か 今の世は 己の声を 今朝に聞く」という是秀の歌があります。こちらの山びこ(山彦)の例えは、もっと高尚なもの。ですが非常に印象深かったので、僭越ながら私も真似してちょこっと例えに使わせてもらいました(汗)

非常識が通るというのを学習してしまう怖さ! 知人に建築職人が数人いるのですが、彼らと話をするたびに感心させられることがあります。30代40...
スポンサーリンク