昔の大工は【忍者】と兼業だったかも知れない|大工道具と忍具は同じ!?

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どちらも建物構造を知り身軽で度胸がある!

鳶職人は江戸時代、町火消と二足のわらじだったという話を、当サイトのコラム「【鳶職人】消防署の地図記号が刺又なのは消火に使った道具だから!」でご紹介しました。なぜ鳶が消火活動をしていたのかというと、“建物の構造をよく知っている、高所作業に慣れている、身軽で度胸がある”という点から。

これらの特性は鳶だけではなく、大工にも十分あてはまります。そして大工が使う大工道具は汎用性があるため、忍具にも使われていたという説があったりします。忍具とは、忍者が使う道具のこと。

例えば、忍具の「錣(しころ)」は、両刃の小型のこぎり。扉などを壊すのに使います。坪錐(つぼきり)鑿(のみ)鋏(はさみ)なども、壊器・開器。また「かすがい」は、逃げる際に扉を塞いで時間かせぎをするのだそう。

「苦無(くない)」は、これがあれば苦が無いという忍具。大工道具の「半丸やすり」辺りをカスタマイズしたもの、といったところでしょうか。武器としては、相手を刺したり、柄尻の輪っかにひもを通しブンブン振り回して使います。苦無は高価な鉄でできているので、手裏剣のように投げて使い捨てにすることはあまりしません。

どちらかというと、石垣の目地などに刺して足場にしたり、土を掘ったり、錠を開けたり、といった方面で重宝する道具だったよう。忍者といえば、手裏剣や苦無を投げて抗戦するイメージ。ですがあれは、苦無ではなく棒手裏剣や小型の飛苦無だったんですね。

このように、大工と忍者には色々と共通点が見いだせます。もしかしたら本当に大工は、忍者と二足のわらじだったのかも知れません。

飛鳥時代にはすでに忍者がいて、「志能便(しのび)」と呼ばれていました。聖徳太子は、差し金を日本に広めた大工の祖。そして彼は、「大伴細人(おおとものほそひと)」という志能便をつかっていたと言われています。

それだけでも、大工と忍者が無関係であるような気がしません。真偽のほどは定かではありませんが、あたらずといえども遠からず、ではないでしょうか?

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